最初の名前はホーカーヒメチ”ネズミ(1)

トウキョウトガリネズミの名前の由来を「産地名をYedoYezoの書き間違いによるもの」と単純に納得してしまうのは、木を見て森を見ずというのと同じで、本種の本当の魅力に出会えない要因である。実はこのような単純な解釈が、本種の生態解明を遅らせてきた要因になってきたと私は実感している。

そもそも学名も和名も曲がりなりにも、時の第一線の研究者が命名するものである。様々なことを考慮して命名している。間違ったとしても修正できるチャンスはいくらでもある。しかし、このような状態になったのは、それなりの理由と状況が存在したはずである。研究者にとって、どのような学名や和名を使用するかはとても重要なことである。それは研究者としてその種をどのように考えているかを宣言するものだからである。学名と和名の変遷の経緯を見ると本種がどのように扱われてきたのかが解るので、これを辿ってみたい。

まず対象としているのは、 現在 和名    チビトガリネズミ     学名 Sorex minutissimus      亜種名 トウキョウトガリネズミ  学名  Sorex minutissimus  hawkeri  とされている種であることを確認しておく。学名も和名も研究が進むと変化していくが、一定のルールによって行われている。このルールが解ったほうが理解しやすいので学名と和名の項を参照してほしい。

本種の和名は、1924年に出版された哺乳類動物図解(岸田久吉著)に「トウキャウトガリネズミ(黒田長禮氏新稱) ホーカーヒメチ”ネズミ(黒田氏命名)」と記載されたのが現在確認できる最初の書物である。

これは、1903年6月7日にR. M.  Hawker よって採取された雄の標本に基づいて、Thomasが1906年にSorex hawkeri と学名を記載発表したことに遡る。学名にhawkeri とつけたのは、採集者のHawker氏に敬意を表してつけられている。よって、最初の和名はこれをうけてホーカーヒメチ”ネズミと黒田長禮氏が命名したが、1924年に黒田氏がトウキャウトガリネズミという新称に変更し、岸田氏はそれを認めたことを示している。